2015年5月18日

人の孤立化と日本の右傾化

昨日、下記記事を読んでいて次の文章が目に止まった。
新自由主義と愛国は極めて親和性が高いのです。メカニズムはこうです。新自由主義による構造改革は共同体をバラバラにします。共同体から取り除かれた人々は砂粒のように粉々にされ孤立化します。すると人々は共同体を求めて保守化し、愛国を前面に打ち出す新たな新自由主義者の政治家に騙されるようになるのです。そしてますます、構造改革は進んでいきます。
(引用元:ポン吉のブログ2ー反新自由主義宣言ー新自由主義者の手法

孤立化している人々が「社会との繋がり」を求めるのは、たぶん生物としての本能だろう。
(以前どこかで読んだが、つがいのインコは人の言葉を覚えず、一羽だけで飼われているインコは人の言葉をまねるようになるそうだ。)

だが、社会との繋がりを求める本能がどこへ向かうかは、その人が持っている性質に加え、置かれている環境も影響しているように思える。「愛国保守」へ向かうか、「反戦平和」に向かうか、あるいは「スポーツ」や「オタク文化」などの趣味に向かうか、十人十色に違いない。
人それぞれだと思うが、社会との繋がりを求める際、その人が普段から「生きづらさ」を感じている場合はある傾向を帯びるかもしれない。

「生きづらさ」を実感していれば、なぜ生きづらいのかと悩む。そこへ分かりやすく「在日」や「反日マスコミ」が登場すれば、恰好の批判対象になる。自身の不遇とは直接関係がなくても、「日本のために」行動することは自尊心の回復に繋がる。
在日朝鮮・韓国人やマスコミに全く問題が無いとは言わないが、そもそも生きづらい社会を演出してきた張本人は誰なのか、説得しても彼らの耳には入らない。彼らの多くは真面目で正義感の強い人達であり、だからこそ余計にたちが悪い。(扇動する確信犯にまんまと騙される。)
そうでない場合は「生きづらさ」の解消は刹那的な快楽や犯罪などに向かったりもする。

この社会を演出してきた者達もここまで意識して仕組んだのではないのだろう。だが、生きづらい社会にすればするほど支持が集まるという、正にマッチポンプ状態だ。

これは社会的な病理現象であり、一朝一夕にどうにか出来るものではなさそうだ。
そしてこの病理は、おそらく敗戦のトラウマとその後の日本の歪んだ成長に関係している。
第一次世界大戦後のドイツと酷似しているようだ。

ーー
(追記)
文中、「愛国保守」という用語を用いていますが、新自由主義政権を支持する「愛国保守」を本当の意味での保守的立場とは考えていません。

タグ:社会病理
posted by ぱじぇんと | コメント(0) | トラックバック(0) | 本編
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック