2015年7月12日

日本人 頭の中は カネのこと

恥ずかしげもなくテレビにアホ面さらしてたんまり稼ぐ宮根誠一とか、恵俊彰とか

松竹梅のランクで非課税の戒名料せしめて祇園で舞妓さんと豪遊する坊主とか

夫名義の株の運用で儲ける稲田朋美とか

「南京の真実」とかいう映画を作ると言って寄付金集めて、何に使ったか分からない水島総とか

都知事選で集めた寄付金の残りを水島総と取り合いして喧嘩した田母神俊雄とか

TPP・グローバリズムの危険を訴えてちゃっかり稼ぐ三橋貴明とか、中野剛史とか、そのお友達とか

自分の主張してたことと全然違うことを内閣がやってても内閣官房参与の椅子に座り続ける藤井聡とか

母親が他界したこと知らせるブログ記事で講演会の宣伝をする青山繁晴とか

アイデアコンテストやってるだけでなんのメドも無いのに研究予算よこせとド厚かましい日本海連合とか

偉そうに寄付しろとか言うくせに、ちょっと収支報告のことを言ったら顔を真っ赤にして怒るWJFプロジェクトとか



みーんなカネやな。

カネかね金
カネのことばっかり

これでは日本なんか滅びます。


タグ:拝金主義
posted by ぱじぇんと | コメント(30) | トラックバック(0) | 本編
この記事へのコメント
WJFプロジェクトが金目当てというのなら、なんで君は「慰安婦神話の脱神話化」の文字起こしなんか面倒臭いことをやってたんだ?

君は「この動画は金目当てで作られた汚い動画だー」「あー薄汚いー」「けがれるー」と思いながらせっせと文字起こししてたのか?

WJFプロジェクトが金目当てというのなら、なんで君しつこくしつこく、あれやこれや、私に指図してきた。

君は「ああ、薄汚い金目当てのプロジェクトだー」「あー薄汚い」「けがれるー」と思いながら、私にしつこく指図してたのか。

ずいぶん変わった性格の持ち主なんだな、君は。

しかし、そうではあるまい。

「ただの金儲けで作った動画じゃない」
「ただの金儲けでやっているプロジェクトじゃない」

と君が思っていたから、君はWJFプロジェクトに関わりを持とうとしていたはずだ。

私は君に「あれこれ指図してくるなら、相応の負担をしろ」と言った。うるさい君をだまらせるためだ。

君の指図にいちいち聞き従っていたらきりがないし、君は私が君の言葉を聞くまでしつこくしつこく他の人を介してまで言ってくるような人間だし、このままではWJFプロジェクトの主体性が失われてしまうから言った。君が負担なんか負わないことぐらい承知の上でだ。

万一君が寄付するといいだしたら「100万円寄付しろ、そしたら指図を聞いてやろう」とかいうつもりでいた。

すると、君は「収支報告がないから寄付できませんー」といった。

私が、そのときかちんときたのは、君はWJFプロジェクトが信用に価するプロジェクトだと思ったからこそ、動画の文字おこしをしたり、あれこれうるさく指図をしたりしていたはずなのに、「指図をするなら相応の負担をしろ」といわれたとたんに、「収支報告がないWJFプロジェクトは信用できません」みたいな、自分が負担を負わなくてすむ、その場でとりつくろった、手のひらを返したような卑怯な言い逃れをしたからだ。

とにかく、箸の上げ下ろしまで自分のいいなりに人が動かないと気がすまない君と、人のいうことなんか聞くもんかという姿勢の私では水と油で、うまくいくわけがない。

自分の意が通らなかった腹いせにWJFプロジェクトの悪口ばかりいってないで、もっと前向きなことに時間を使ってください。
Posted by WJF at 2015年7月21日 00:12
WJFさん
まずはじめに

>君は「収支報告がないから寄付できませんー」といった。

前にも書きましたが、言ってないことを言ったというのはやめて下さい。二度も同じことを書かさないで下さい。
私が書いたコメントは
「匿名でも振り込み出来るようだし、簡単な収支報告があれば少し考えてみます。」
だったはずです。
収支報告という条件はつけましたが、私は実際寄付について考えるつもりでいました。

名前を出したくないというのが問題でしたが、確か「寄付のお願い」のページだったかに「匿名での振り込み」ということが書かれてあったので、あの時調べました。結果、郵便局のATMを自分で操作する場合は名前を自由に入力可能、つまり匿名(仮名)での振り込みが可能と分かりました。
あくまで「考える」(検討)としたのは、「これだけ口を出してあげてるのに更に金までというのは親切が過ぎるんじゃないか」と思ったからです。

私はあなたの活動がすべて金目当てだとは思っていません。日本の行く末を憂う気持ちからだと思ってます。
ですが、だからこそ金には潔癖でいてもらわないと困ります。
その上で収支報告はやはり必要なものです。

前に「寄付の実績と、WJFプロジェクトのアウトプットを比べて...」と書いておられましたが、金銭と動画の質は比べられません。比べるには単位を揃える必要があります。

動画の質を金銭に換算するには、動画制作に対する報酬としてWJFプロジェクトからWJFさんに対価を支払ったという形をとる必要があります。
当然、税金が掛かるはずですが、所得を得たなら納税するのは国民の義務です。

無報酬で動画を作ったということなら残念ながら動画の値段は、翻訳の謝礼などを別にすると、0円です。

いづれにせよ、収支報告は記載して公開しようと思えば出来るはずです。

最後に、あなたと私が水と油でうまくいくわけがなくても、私は曲がったものは真っ直ぐにしないと気が済まない質なので仕方がありません。諦めて下さい。
折ってでも真っ直ぐにします。
Posted by ぱじぇんと at 2015年7月21日 19:07
追伸
2ちゃんねるの私の質問(「フィールドで戦う」と「安全圏で評論家然と振る舞う」の区別について)への回答もよろしく。
Posted by ぱじぇんと at 2015年7月21日 19:20
>「匿名でも振り込み出来るようだし、簡単な収支報告があれば少し考えてみます。」
>だったはずです。
>収支報告という条件はつけましたが、私は実際寄付について考えるつもりでいました。

そうだったのかい。
私はとにかく、しつこくてうるさい君を追い払うために言ったので、君が寄付するといいだしたら、
「1000万円寄付しろ、そうしたら指図してもいいぞ」とでもいうつもりでした。


>2ちゃんねるの私の質問(「フィールドで戦う」と「安全圏で評論家然と振る舞う」の区別について)への回答もよろしく。

いろいろ仕上げなければならないものがあります。
もう降参です。
ぱじぇんとさんの「勝ち」でいいですよ。
Posted by WJF at 2015年7月22日 01:50
>前に「寄付の実績と、WJFプロジェクトのアウトプットを比べて...」と書いておられましたが、金銭と動画の質は比べられません。比べるには単位を揃える必要があります。

たとえば「慰安婦神話の脱神話化」という動画一つ取り上げても、資料の読み込みから始めて、構想を練り、動画に仕上げていくまで、制作に合計何時間の作業がかかっているのか計算できません。

1時間いくらの作業です。それが合計何時間かかりましたという形では数字にはできません。

仕上がったアウトプットを見て、人によって価値も変わるでしょう。「すばらしい」と感動する人もいれば「こんなもの」と一笑にふす人もいる。こちらから「この作品はいくらいくらです」と値段のつけようがない。それは絵描きの描く絵画作品と同じです。

WJFプロジェクトの活動を見た人に、「寄付するのに値するのか、値しないのか」判断を委ねるしかない。

ひとつだけ心がけているのは、人に媚びない、作品作りをすること、情報発信をすること。

あなたがいうように、金目当てでやっているなら、そもそも新聞やテレビに取り上げられて、ネトウヨの親分みたいに持ち上げられていた身分で、わざわざ安倍政権批判などしていません。

>動画の質を金銭に換算するには、動画制作に対する報酬としてWJFプロジェクトからWJFさんに対価を支払ったという形をとる必要があります。

製作者や翻訳者に対する「対価」として扱わせていただくと、WJFの規約に明記してあります。
実際、翻訳者に翻訳料としてご寄付の中から支払っています。DVDの製作費用ももちろんその中から捻出します。

>当然、税金が掛かるはずですが、所得を得たなら納税するのは国民の義務です。

当たり前です。きちんと1円の違いもなく、申告して納税しています。ただでさえ政権批判して目をつけられるようなことをしていますから、ケチをつけられないように振舞っています。

>最後に、あなたと私が水と油でうまくいくわけがなくても、私は曲がったものは真っ直ぐにしないと気が済まない質なので仕方がありません。諦めて下さい。
>折ってでも真っ直ぐにします。

その前にとっとと終了して、現在のWJFプロジェクトは、あなたの目の前から消えますから、安心してください。

あなたから言われた収支の件も含めて、WJFプロジェクトの新しい形を模索しています。
Posted by WJF at 2015年7月22日 02:14
「勝ちでいいですよ。」じゃないんだよ。
「すみませんでした。」だ。
Posted by ぱじぇんと at 2015年7月22日 02:16
>「勝ちでいいですよ。」じゃないんだよ。
>「すみませんでした。」だ。

うるせー。謝るのはお前だ。
Posted by WJF at 2015年7月22日 02:17
私に相手してほしかったら100億円寄付しろ。そしたらお前に10分ぐらい時間割いてやる。
お前とくだらない喧嘩するために、WJFプロジェクトやってるんじゃねーんだ。
少しでもいいもの作って支援者の皆さんにお返ししていかなければならん。
Posted by WJF at 2015年7月22日 02:21
2ちゃんねるの質問への回答よろしく。
Posted by ぱじぇんと at 2015年7月22日 02:22
>2ちゃんねるの質問への回答よろしく。

ここに回答を書きます。

「ぱじぇんとはしつこい粘着糞野郎です。
作業の邪魔をしないでください。」
Posted by WJF at 2015年7月22日 02:32
回答になってない。
質問は

・あなたはフィールドに立って戦っていて、私は観客席の評論家というのは、何をもってそういう区別になるんですか?

・最初にそれを言った時、ブログのアクセス数やコメント数について触れた後だったが、それが関係あるんですか?

だ。
同じことを何度も書かせないで下さい。

それから私はここへの回答でも構いませんが、2ちゃんねるの方で「逃走した」と見做されても知りませんよ。
Posted by ぱじぇんと at 2015年7月22日 08:04
>あなたはフィールドに立って戦っていて、私は観客席の評論家というのは、何をもってそういう区別になるんですか?

他の人を批判できるのは、自分が同じジャンルのものを作ったり、実現したりしたとき。

わたしもランダムヨーコや谷山雄二朗の慰安婦動画を批判してきたが、

「それじゃだめだ」というのと同時に、「こうあるべきだ」というものを実際に形にしている。

君はわたしのことうるさく批判したり、指図するけど、自分は、なにを形にしたのさ。

動画一つ作ってないし、WJFプロジェクトのようなものも運営していない。

人を批判し、指図する以上は、自分がそれに置き換わる、よりよいものを自分の手で作ってみよ。
Posted by WJF at 2015年7月23日 00:59
>他の人を批判できるのは、自分が同じジャンルのものを作ったり、実現したりしたとき。

動画を作ってない奴は動画を批判するなとか、無茶言わないで下さい。
そんなことを言ったら、インターネットTVを放送していないあなたもチャンネル桜を批判出来ないはずだろ。

>動画一つ作ってないし、WJFプロジェクトのようなものも運営していない。

ブログやツイッターも立派な言論活動だ。
実際あなた自身も、動画や運営とは関係無しに「周りに伝えようと一生懸命取り組んできた」という評価もしていたではないか。

結局こういうことか?
「俺様が戦ってると思う奴は戦ってる。何故なら俺様がそう思うから。」
Posted by ぱじぇんと at 2015年7月23日 06:53
>動画を作ってない奴は動画を批判するなとか、無茶言わないで下さい。
>そんなことを言ったら、インターネットTVを放送していないあなたもチャンネル桜を批判出来ないはずだろ。

彼らがばらまいている保守思想の誤りを指摘するだけでなく
代替となる保守思想の構築や提示も行っています。

あなたも他人にケチをつけるだけでなく、代替となるものを形にしなさい。

>ブログやツイッターも立派な言論活動だ。

それはそうだよ。WJFの主張が間違っていると思えば、その主張をいくらでも批判すればよい。

しかし、評論家と呼ばれたくなければ、批判する以上は代替となるものを形にしなさい。
Posted by WJF at 2015年7月23日 11:01
あと、ツイッターやらないからここに書くけど
掲示板の話題と無関係にリンクなんか貼られてないけど?

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-7313.html

なんで君は、私が君の意見を受け入れなかっただけで、
なんでもかんでもWJFプロジェクトの足を引っ張るようなアンチになってしまうんですか?
Posted by WJF at 2015年7月23日 11:04
「自分の個人的感情をわきにおく」ということを知らない人間が他人の我欲がどうのこうのというなっていうの。
あなたがWJFにうるさく指図していたのも「自分の個人的感情」の押し付けじゃなかったと言えますか?
Posted by WJF at 2015年7月23日 11:07
あなたの区別では

「批評家然と振る舞う」=単なる批判に終始する
「戦う」=批判だけではなく、代わりとなり得るものを提示する・もしくはそれに支えられている

という理解で良いですか?
それなら一定の理解は可能です。(以前のコメントではアクセス数をもって区別しているのかと思いました。)
ですが、ひどい行い(特に権力によるもの)に対しては、批判や事実を明らかにすることも立派な戦いだと思います。ジャーナリズムがそれです。

ところであなたは私があなたに対する批判ばかりしていると勘違いしていませんか?
確かに時間と労力を割かれてはいますが、そればかりしている訳ではありません。自分なりにちゃんと記事を書いているし、ほとんどリツイートはされませんが安倍政権の横暴を批判するツイートもしています。
その上で「戦っていない」というあなたの評価はやはり理解出来ません。

それから「記事の拡散にご協力ください」の記事、良くないと思います。話題、話の流れと無関係にでも、という誤解をあたえます。
説明する上で、または理解を深める上で、引用する必要があれば引用してくれるんじゃないですか?それに自分から拡散を要請するというのも、私には奇異に映ります。

あと、私の個人的感情についてですが、唯一私に直接関係のある「戦ってる・戦ってない」に関しては、多少の感情の影響はあるかもしれません。
ですがこれとて一番言いたいのは「筋は通すもの」ということです。
Posted by ぱじぇんと at 2015年7月23日 12:58
>ですが、ひどい行い(特に権力によるもの)に対しては、批判や事実を明らかにすることも立派な戦いだと思います。ジャーナリズムがそれです。

ジャーナリズムは、典型的な「批評家」ですよね。
対象から距離を置き、言い放しで、彼ら自身は責任ある当事者になろうとしない。
批評しても、代替となるものを作らない、提示しない。

あなたがご自身のことをジャーナリズムにたとえているなら、あなたはやはり「批評家」といわなければならない。

わたしの姿勢とは根本的に異なります。

内部に入り、その集団の信条を身につけ、その信条に従って暮らし、自分で手足を動かして実践して初めて、その集団やその集団の信条に含まれる問題がわかってきます。それは外部から観察しているだけではなかなかわからないものです。

わたしはそういうことを繰り返して生きてきました。

だからわたしの批判は基本的には、「内側からの批判」です。

わたしが「保守」の人たちを批判するのは、自分がネトウヨとして数年間生活して、わかってきた問題点をお話ししています。

三橋やチャンネル桜を批判するのも、彼らに傾倒していた時代があるからです。

単に、外側から批判しているわけではありません。

自分が内部に入って、当事者となったことのない集団に対しては、わたしは基本的には語る言葉を持ちません。

わたしが左翼の人たちに対する批判をあまりしないのも、わたしが左翼運動のようなことをしたことがないからです。

そして「これは違う」と思った際には、内部の当事者として、頭や体を動かしながら、別の代替物を作ろうとします。

わたしがあなたの批判から感じるのは、いつも「外側から」の非当事者的、第三者的な立場からの批判です。

もちろん、当事者になることによって盲点もうまれますから、非当事者の方も意見も貴重だと思います。

しかし、外部の人からあまりにしつこくしつこく、意見を押し付けられると、内部で当事者として活動している者からすると、ものすごい反発心が生まれます。

わたしは特にそういう反発心をもった人間です。

「当事者になろう」という意識が強いので、その分「外野の意見は聞かない」という姿勢ももっています。

でも聞かないふりをして聞くようにもしています。

あなたがうるさく音楽がいらない、いらないとコメント欄に書き込んでいたときにも、「しつこい」と思ってあなたのコメントを非承認のままにしながら、無音版のバージョンを出しました。

外部の声にもアンテナを張っています。

あなたが非当事者で、わたしは当事者でありながら、言葉をやりとりする関係が生まれ、その非対称な関係のなかで指図を一方的に受ける関係に置かれてしまうと、わたしはやはり拒絶反応を起こしてしまいます。

それは当事者としての主体性をまもるためでもあります。

わたしはあなたがひそかに動画の文字起こしをしてくれていたことも、大変ありがたいと思っていましたし、あなたをきつい言い方で拒絶してしまったあとも、正直、「わるかった」という気持ちもありました。

でも、やはり、当事者として同じ土俵の上に立つもの同士でないと、意見や批判の言葉の投げ合いとは言うのは、ポジティブな結果を生まないと思います。
Posted by WJF at 2015年7月23日 22:32
WJFさん
世の中に対する訴えと動画に対しての意見を分けて考えましょう。

正義感に根ざすジャーナリズムは、言論やその他の表現による戦いそのものです。場合によっては身を危険にさらすことすらあり得ます。安全圏に身を置く批評家とは全く異質です。

動画に関しては私は作ったことも無い批評家です。無責任な立場からのものです。制作の苦労も知りません。

なので動画製作者としてのあなたにとっては、私は口うるさい批評家なのでしょう。
ですがあなたは世に訴える言論人としての面も持っています。その点で、あなたと私は同じフィールド・土俵に立っているはずです。

言葉による戦いにおいて、元ネトウヨだったか、あるいは左翼かなど、思想的な背景がいかほどの意味を持つというのでしょうか?言語という同じ土俵の上のことです。
左翼に対する批判が少ないのは、あなたが左翼だったことが無いからではなく、現在日本を破壊しつつあるのが右翼だからです。

動画に関しては、私は好き放題に言い過ぎたのかもしれません。
BGMにしても、あれほど無い方が良いと頑なに主張したのに、ナレーションを付けるとなるとBGMがあった方が良いと思いました。
たとえより良いものをという気持ちからだったにせよ、度が過ぎたかもしれません。
すみません。
謝ります。

ですが、あなたは私に言い過ぎています。
Posted by ぱじぇんと at 2015年7月24日 01:04
私もあなたに失礼なこと言っていますからお互い様です。
ただ、誤解していただきたくないのは、私が反発と抵抗を感じたのは、あなたの言葉遣いであるとか態度であるとかということではなくて、ものをつくる当事者である側の私と、ものをつくらない非当事者である側のあなたの間に、指示をする、指示を受けるというパーソナルな関係が生まれたことです。その関係も一時的なものであったり、あるいはパーソナルな関係取り結ぶことなく、関係の埒外にある第三者としての立場でおっしやっていただく分には構わないのですが、指示をする=指示を受けるという関係が固定化され、持続されていきつつあったときにときに、ものをつくる側の人間としては、抵抗と反発を感じずにはいられず、ついあのように怒ってしまいました。

あなたはそれをわたしのわがままな「我」のようにおもったかもしれないけれど、それはわたしにとってはものつくるものとしての、あるいはものを考えるものとしての「当事者意識」です。おそらくこの二つは表裏一体のものでしょう。「ひとりよがり」に陥る危険性はいつもあると思いますが、だからといって、自分の心の声よりも、他人の声や、周りの人々の声に、ほいほい聞き従っているようでは、ものをつくれない、意味のあることを語れないというのも事実であると思います。

>言葉による戦いにおいて、元ネトウヨだったか、あるいは左翼かなど、思想的な背景がいかほどの意味を持つというのでしょうか?言語という同じ土俵の上のことです。

外側からものごとを見て、何かを語ることも可能です。そのときにすなおに感じたことを言葉にすることは可能です。
でもそれは「批評家」のやることです。当事者としてものごとの内部に食い込んでいくと、もっとちがうものが見えてくるはずです。

あと、ついでにツイッターの「静かに歩み出す」ってどういうこと?なぜ「静かに」なんだ?というご質問に答えると、「静かに」というのは、外部からの扇動によらずに、自分の根っこに根ざして、深い気づきに基づいてという意味です。
「第三の道」は、「右翼」や「左翼」がイデオロギーに根ざしてるのとは対照的に、「日本の根」に関わる問題だからです。
Posted by WJF at 2015年7月24日 06:36
WJFさん
「安全圏に身を置いて評論家然と振舞う」の発言は撤回して頂いたものと理解します。

動画に対する私の意見は当たっていることもあるようです。取捨選択して下さい。
私も強く主張し過ぎる面があることに気をつけます。

「外側から」や「当事者として」というのがどうにも分かりません。
実相を明らかにするのに、外からも内からも無いはずです。

>当事者としてものごとの内部に食い込んでいくと、もっとちがうものが見えてくるはずです。

当事者ではなくとも「内部に食い込んでいく」のがジャーナリズムなのではないでしょうか?
かつてそこに身を置いた経験が理解を深くするのは分かりますが、それは質的な差を生じさせるものではないように思います。あなたも安倍政権やチャンネル桜に対して、ただの「批評家」ではないはずです。

記事「バカウヨたちのバカバカしいコメントに答える」についてですが

「第三の道」は、そう何度も仰々しく言われると、「俺様が指し示す道」と聞こえて来ます。

「静かに歩み出す」は私には詩的な表現に聞こえました。
詩は陶酔と感染を招きやすいものです。それは別の扇動につながる危険をはらんでいます。
これはあなたの宗教的な志向と無関係ではないでしょう。
あなたがイエスマンを従えたWJF教教祖にならないよう願っています。
Posted by ぱじぇんと at 2015年7月24日 18:12
>「安全圏に身を置いて評論家然と振舞う」の発言は撤回して頂いたものと理解します。

撤回していません。あなたは他人のあら探しばかりをして、自ら代替物を提示しようとはしない「評論家」です。

単なる「評論家」ではない批判とは

1. 自らが当事者となり
2. 代替物を提出すること

によって批判するものです。

そうではない批判は「評論家」の批判です。あなたはただの「評論家」です。
あなたは、「評論家」でない人間のあり方がどういうものかも想像できないほど、骨の髄まで「評論家」です。

「評論家」ってどういう存在かご存知ですよね。

自分は小説を書かないのに、他人の小説作品を批評する。
自分は映画を作らないのに、他人の映画作品を批評する。
自分は絵を描かないのに、他人の絵画作品を批評する。

あなたはまさに「評論家」じゃないですか。
あなたが「評論家」でないと言い張るなら、この世に「評論家」など存在しません。

>「第三の道」は、そう何度も仰々しく言われると、「俺様が指し示す道」と聞こえて来ます。

それはあなたの主観です。あなたの視点から「そうみえる」ということに過ぎない。あなたの目にどう見えてもあなたの自由なのですが、あなたの問題は、自分の主観を、他人の心の中にずかずかと土足であがりこんででも、しつこく押し付けることです。

そもそも中国の属国になるよりアメリカの属国になるほうがマシだと言っている人々に、また、右翼じゃなきゃ左翼、左翼じゃなきゃ右翼と右往左往している人々に、中国に傾斜するのでもなく、アメリカに傾斜するのでもない、日本のすすむべき進路を「第三の道」と呼ぶ以外に、なんと呼ぶのですか。

わたしがそれを「第三の道」と呼んだところで、なぜあなたにそんなことまで批判されなくてはならないのか、まったく意味がわかりません。

あなたがしているように、私の箸の上げ下ろしまで、いちいちケチつけられたたら、私は何も書けなくなります。何も作れなくなります。だから、わたしはきつい言葉をあなたにぶつけてでも、あなたを拒絶したし、あなたとの関係を断とうとしました。あなたと関わることの危険性がわかっていたからですし、WJFプロジェクトの活動を守るためです。あなたは他人をつぶそうとしています。自分の意のまま、感じるままに従う、操り人形にしようとすることによって。しかも偏執狂的な執念をもってあなたはそれを実現しようとします。

あなたはいつも他人にそんな風にしているんですか?
そんな風に他人を扱って、他人をだめしてしまった経験はありませんか?
もしあなたが親であり、自分の子供に対してあなたがしているようなことをしたら、
あなたは自分の子供をだめにしてしまいます。
あなたは人のもつ主体性を尊重するどころか、根底から否定しているからです。


>「静かに歩み出す」は私には詩的な表現に聞こえました。

私はいつも自分の直感に従って文章を書いています。
その意味では、わたしのブログの記事はすべて、わたしの「詩」です。
あなたがそうよびたいのならばですが。
なぜあそこに「静かに」という言葉を入れたのか。
わたしの直感がわたしにそう命じたからです。
わたしの主体性がそうわたしに命じたからです。
これまで、自分の直感に従って、大きく間違えたことをこれまで書いたためしがありません。

嘘だと思うなら、WJFの過去の記事をさかのぼってよめばいい。
驚くほどの内的な一貫性があるし、いまだになんの修正も訂正もせずに、そのまま読める記事ばかりです。
昨日書いた文章の種子が、何年も前に書いた記事の中にすでに書かれていることもあります。

それは私が誰かの指図に従うのではなく、自分の心に従って文章を書いてきたからです。

わたしが間違えるのは、他人の言葉に引きづられて、それに同調してしまう時です。

あなたは今、私の心にずかずかと土足であがりこみ、わたしが自分の心の声に耳を傾けることを妨害し、わたしがわたしの声ではなく、あなたの心の声に従うように、わたしに命じています。あなたはわたしの支配者になろうとしています。

あなたがこういうことを続けていれば、私は文章がかけなくなります。
私の活動を妨害しないでください。

WJFプロジェクトの活動が間違っているとしつこく主張するならば
あなたは、人のあらさがしをするよりも、代わりとなる代替物を提出することに、
あなたのエネルギーと時間を注ぎなさい。

>詩は陶酔と感染を招きやすいものです。それは別の扇動につながる危険をはらんでいます。
>これはあなたの宗教的な志向と無関係ではないでしょう。
>あなたがイエスマンを従えたWJF教教祖にならないよう願っています。

あなたは2013年ごろからWJFのブログにやってきました。
それ以前の、WJfプロジェクトの様子をリアルタイムで何も見ていません。
私が、いつもあなたにうんざりさせられるのは、
あなたは何もしらない、何も見ていないのに、
自分が知っている範囲、見ている範囲であなたがいだく主観や心象を、人に押し付けることです。

私が教祖になる危険性があるというのなら、わたしはとっくに教祖になっています。
2011年ごろ、動画がテレビや新聞に取り上げられて、わたしはネトウヨの英雄のように扱われていました。
しかし、私はWJFプロジェクトに集まってくるネトウヨの人たちを蹴散らすように、
WJFプロジェクトという活動をやってきました。いまでもそうです。

こちらに書き込みをするのも今日で最後です。

「やめてください」とあなたに言ってもあなたはやめないでしょうが、
どうかよろしくお願いします。

「WJFプロジェクトを支配しようとするのはやめてください。
WJFプロジェクトはあなたのものではありません」
Posted by WJF at 2015年7月25日 01:22
パジェントは下のサイトを読んで、精神科にでもいってこい。

自他境界の曖昧性 自己愛性人格障害の特徴 [ モラハラ資料 ]

自分と同等の存在として認識する他者(対象)のことを、精神分析では『自己対象』と呼びますが、自己愛障害では『自己と自己対象との境界線』が薄まってしまい、自己対象(親しい他者)にも自分と同じような考え方・接し方をして欲しいという欲求が強くなり過ぎてしまうのです。

しかし実際には他者には他者の人格(内的構造)があり、他者には他者の生活・仕事・人間関係の都合があるわけですから、どんなに親しくて気心の知れている家族・恋人・親友であっても、『自分の思い通りの反応・愛情供給・承認』を得るというのは原理的に不可能であり、ここに自己愛障害に特有の『自己と他者との不適切な距離感の問題(依存と要求の過剰によるトラブル)』が生まれやすくなります。

自己と他者の境界線が曖昧になって、自他の同一化の心理規制が強くなると、『他者の存在・愛情(承認)』に一方的かつ過剰に依存している自己アイデンティティは非常に脆弱なものになりやすく、自分が信頼していたり好きだったりする他者が少しでも『自分の思いに反する反応・対応・拒絶』をすると、自己アイデンティティが拡散して自己否定感や自傷行為の衝動が強まるリスクが高くなります。

「結局、自分のことしか考えない人たち 自己愛人間とどうつきあえばいいのか」
自己愛人間は境界を侵害します。自己と他者とのあいだに境界があり、他者が別個の存在であって自己の延長でないことが理解できません。絶対的な特権意識を持つ彼らにとって、彼らの欲求はあなたの欲求より重要です。

http://mora110.blog.fc2.com/blog-entry-29.html
Posted by WJF at 2015年7月25日 01:45
下のwikipediaの記事も参考になるぞ。線を引きたい箇所がいっぱい。君がわたしに対してやっていることそのものじゃん。

モラル・ハラスメント

加害者は道徳家の様に振舞うことが多い。妄想症の人格に近いところがある[18]。また、加害者が人を支配しようとするのには、妄想症の人間が自身の「力」を用いるのとは対照的に、自身の「魅力」を用いる[19](婉曲的な表現や倒置法を好んで使うなど)。次に、ひとつひとつを取ってみればとりたてて問題にするほどのことではないと思えるようなささいな事柄・やり方により、被害者の考えや行動を支配・制御しようとする。この段階では、加害者は被害者に罪悪感を与え、周囲には被害者が悪いと思わせようとする[20][21]。

被害者が自立しようとすると、中傷や罵倒などの精神的な暴力を振るい始める[21]。だが、モラル・ハラスメントのメカニズムが機能しているかぎり、加害者の心には安寧がもたらされるので、被害者以外の人には「感じのいい人」として振る舞うことが出来る。そのため、その人が突然モラル・ハラスメントの加害者として振る舞ったとき、周囲には驚きがもたらされ、時にはハラスメントの否定さえなされる[22]。故に、被害者は自分のほうが悪いのではないかと逡巡し、暴力行為自体は相手が悪いが、原因は自分にあると思考してしまう。[21][23]。

モラル・ハラスメントの加害者が行う個々の攻撃行動は、普通の人でもやってしまうことがあるものだが、普通の人はためらいや罪悪感を伴ってしまうところを、「本物の加害者」[24]は自身のほうが被害者だと考える[25]。反対に、耐えかねた被害者が加害者に肉体的な暴力をふるってしまうこともよく起こる。加害者がそのように仕向けることすらある[26]。

「自己愛的な変質者」、この人達は人々をひきつけ支配下に置き価値観の基準をひっくり返すことができる。集団に混じっていれば集団的倫理観が破壊されてしまう。[27][要ページ番号]

加害者は自分のしていることを周りにも、相手にも気づかれないようにして、巧みに被害者を傷つけていく。その結果、被害者は肉体的にも精神的にもかなり苦しんでいるのにその苦しみの原因がわからず、時には随分時間がたってからようやく自分がモラルハラスメントを受けていた事に気づく。また、何年も経過した後でも被害者は、行動する度に加害者から言われた中傷誹謗や軽蔑の言葉が頭に蘇り、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に長期的に悩み苦しむこともよくある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/モラルハラスメント
Posted by WJF at 2015年7月25日 01:49
人が思い通りにならないと気がすまず、コントロールしようとする
身近な人が自分の意見や嗜好に無条件に従い、期待した反応を返すようコントロールしようとします。
直接的な命令だけでなく、思い通りにならないと不機嫌になったり無視や嫌がらせをする、仲間はずれにする、別れをちらつかせる、などの罰を与えることによるコントロールや、過去にしてあげたことや相手の失敗話を持ちだす、あなたのためを思って言っているのにと恩に着せる、みんなもお前のやり方はおかしいと言っているよと多数派を装う、など相手を不安にさせたり罪悪感を感じさせるといった間接的にコントロールする方法を用います。
自分なりのルールに対するこだわりが強く、ちょっとした意見の食い違いでも、異様にしつこく主張して絶対に折れません。
→ 人を思い通りにコントロールしようとする支配欲/支配欲(体験談)

思い通りにならない人への無視や軽蔑感が強まる(全否定の対象)
相手が自分の期待通りの反応をしてくれる時は寵愛しますが(理想化)、褒めてくれない、感謝が足りない、賛同しない、干渉的な言動を邪魔くさがり相手にしてくれない、など思い通りにならない人は途端に全否定の対象となり(脱価値化)、仲間はずれにされがちです。100か0でしか物を考えられず(白黒思考)両極端な対人評価をするので、些細なことで人間関係が不安定になり良い関係は長続きしません。
→ 理想化とこきおろしの二極化で不安定な人間関係

身近な人は自分らしく在ることが許されず操り人形になっていく
身近な他者は「良い自分をうつす鏡」としてのみ存在を許されており、思い通りにならない人は役立たずの鏡として捨てられてしまいます。重要なのは褒めてくれる、などの表面的な関係性で、優しい人とか面白い人など相手の中身には関心がありません。自己愛者の言う優しいは「自分を否定しない」という意味であり、賛同せず自分の意見を述べたり、本当に優しい人が思いやりを持ってアドバイスをしても批判、反逆とみなされ仲間はずれの対象となります。
身近な人は相手の顔色をうかがい徐々に言いたいことを言えなくなったり、自分らしさがわからなくなり操り人形のようになっていきます。

http://mora110.blog.fc2.com/blog-entry-3.html
Posted by WJF at 2015年7月25日 02:02
WJFさん
撤回はしていないということなので、私もこれを追求せざるを得ません。

あなたはここへの最初のコメントで、他の人に対しては「周りに伝えようと一生懸命取り組んできた」と評しつつ、私に対してはその「一生懸命やっている他人に向かって懐手をしながら評論家然と振舞う」「クズ人間」と評した。「アクセスもないコメントもつかない、こんな気の抜けたいい加減なブログ」とも言ってくれた。
http://pagent.seesaa.net/article/420615668.html#comment

ところが今度は「動画一つ作ってないし、WJFプロジェクトのようなものも運営していない」「代替となるものを形に」云々と言い、私を「評論家」だと言う。
適応する基準を変えている。

前者はブログによる言論を行う私に対してのもの
後者は動画を作っていない私に対してのもの

自分が行った発言の解釈を変更するこの言い訳法、「逆わら人形論法」とでもいいましょうか。
意図的にか無意識にかは知りませんが、こういう議論の進め方をするところがあなたの卑怯なところです。

自分の発言に責任を持ち、私が「懐手をしながら評論家然と振舞う」ブロガーだという根拠を提示するか、謝罪して下さい。

>あなたがこういうことを続けていれば、私は文章がかけなくなります。

人のせいにするのはやめて下さい。これも卑怯です。
人がなにを言おうと、書きたければ書けば良いことです。
ちなみに私はあなたが何を言おうと、書きたい時に書きたいことを書く自信があります。
試してみますか?

(追記)
心理関係の記事、どれも私には当てはまりません。
Posted by ぱじぇんと at 2015年7月25日 17:59
>心理関係の記事、どれも私には当てはまりません。

自他の区別がつかず、自分が狙いを定めた特定の人間に自分の嗜好や価値観を押し付け、
自分のコントロール下に置かないと気が済まない。
絵に描いたような典型的なモラル・ハラスメントです。
モラル・ハラスメントの加害者は、犠牲者が逃げ出すことを許しません。
わたしが、やめてくださいと、あなたにお願いしても、あなたはやめないでしょう。
あなたが、これ以上続けるならば、わたしは、相応の措置を取らせていただきます。
どうか、そのつもりでいてください。
Posted by WJF at 2015年7月25日 19:44
このコメントは証拠として必要ですから、どうか、消さないようお願いいたします。

「パジェントさん、あなたのしていることはわたしに対するモラル・ハラスメントであり、
わたしは大きな精神的苦痛をうけております。ただちにやめていただくよう、切にお願いいたします。」
Posted by WJF at 2015年7月25日 19:50
>自分の発言に責任を持ち、私が「懐手をしながら評論家然と振舞う」ブロガーだという根拠を提示するか、謝罪して下さい。

自分もブログを書いているから、他のブロガーを批判してもよいとあなたは言いたいのだろうが、例えば、裏庭で、キャッチボールしている程度の人間が、プロ野球選手を「批評」すれば、「俺だって野球をやってるんだい」と言い張ったところで、やはり「評論家」です。

「『第三の道』という言葉を使うWJFは教祖だ。『第三の道』という言葉を使うな。」
「「静かに踏み出す』はポエムであり、ポエマー体質のWJFは教祖だ。『静かに」などいう言葉を使うな。」

こんな発言に及んでは、「評論家」どころか、自他の区別がつかず、他人の内面をコントロールしなければ気が済まない、人格異常を抱えたモラハラ加害者の言葉ですけれどね。

「評論家」と呼ばれるのがそんなにいやなら、自分が同じ代替物を提出しろとお話ししています。

つまり、WJFプロジェクトがやってきた以上のことを、自分がやってごらんなさい。

特定の人物の一挙手一投足を四六時中観察して、自分の意見をしつこく押し付けるより、社会に警鐘を鳴らし、新しい指針や思想を提示し、今より、もっと多くの読者を集め、もっと大きな影響力を持とうと努めてごらんなさい。

WJFのことなんか忘れて。数年間そのような地道な活動を続けてごらんなさい。

あなたがそのように自分の課題に向き合う姿をみれば、私も自分の課題に向き合ってがんばるでしょう。

そうして、あなたのブログが実績を上げて、WJFプロジェクト以上の働きをした暁には、あなたを祝福し、「あのときは評論家よばわりしてごめんなさいね。今のあなたのブログはすばらしい場所に成長しましたね」という言葉を送ることでしょう。

でもあなたがそうはならないことを知っています。

モラハラ加害者として、いつまでも、いつまでも「WJFがー」としつこく、しつこく、人に絡んで、自分の意見を押し付けたり、いやがらせを続けることは手に取るように明らかだからです。
Posted by WJF at 2015年7月25日 21:24
WJFさん
あなた方は「プロ野球選手」、私は「裏庭で、キャッチボールしている程度の人間」。
何を根拠にそう喩えておられるんですか?
Posted by ぱじぇんと at 2015年7月26日 07:03
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